●小学校時代、木倉町(きぐらまち)は時々使う通学路でした。
●本来の通学路はこの通りから2筋北側にある長町通り(かな?)だったのですが、たまたま片町方面に住んでいる友だちといっしょに帰るときは、この通りを通っていたのです。
●木倉町には2筋の通りがありますが、2本ともほんとに狭い道で、北側の1本は自動車は乗り入れ不可、もう1本(写真の通り)は北西に向かう一方通行の道です。
●写真は2年前の6月に帰省したとき、百万石まつりの行列を見る直前、通りすがりに撮ってきたものですが、相変わらず非常に狭い通りでした。このあたりの風景は、今でもほとんど昭和20〜30年代のままではないでしょうか。
●一時、町名が「片町○丁目」みたいなものに変わっていたようですが、平成15年8月に、無事「木倉町」が復活。その後、現在にいたるまで、ひと昔に戻ったような活気が続いているようで、何より。
●小学校時代に通っていたのはもちろん昼間です。遅くなったとしても、夏場の夕方7時頃ですから、この町の本当の姿は見ていなかったことになります。
●本当の姿? そうです、この町は、私の住んでいた町と同じく、夜の繁華街として知られる「片町の夜」のワンシーンを担っていた飲み屋街でした。
●といっても高級なクラブや料亭のある表通りではなく、あくまでも庶民があまりお金を使わずに飲み食いできる裏通りの盛り場という感じ。この記事にもあるような、焼き鳥屋さんや一杯飲み屋が集まっている“横丁”でした。
【ぐるっとほくりく 週刊まちぶら】(38)木倉町かいわい/金沢市
(5月19日 AsahiCom)
◇◆にぎわい脈々三百余年◇◆
香林坊交差点を南に歩き、北陸一の繁華街・片町を国道157号から西に入ると、100軒以上の店がひしめく路地にぶつかる。 金沢市木倉町。江戸初期、加賀藩の材木蔵が建てられたことが由来だ。300年以上の歴史ある町名は65年、「片町2丁目」に変更されたが、03年に「木倉町」に戻った。由緒ある町名復活を進める市の提案に、地元が応じた。 (中略)
江戸時代、町には小間物屋や古道具屋、絵師、白銀細工屋などが軒を連ね、正月には城の女中も買い物を楽しんだと伝えられる。 道具屋街、職人街の系譜は受け継がれ、戦後も仕立屋、荒物屋、畳屋など生活に密着した店が多かった。「県庁や市役所の通勤路でもあり、街のメーンストリートでした」。南さんは懐かしむ。 (中略)
☆ ☆
「木倉町の名が忘れ去られるのは寂しい」。商店街は00年、旧町名を生かした町おこしを始めた。店先に風鈴約千個をぶら下げて通行人を楽しませる「木倉町ふうりん祭り」を毎年夏に開催。高まった地域の一体感が、町名復活の流れを呼び込んだ。 (後略)
●いいですね〜、「一杯飲み屋」って言葉。昭和の下町の繁華街の匂いがプンプンしてきます。
●昭和42年(1967年)に、小さな長屋に11軒の店がひしめく「やきとり横丁」が開業しました。
昭和42年というと、私が金沢を離れた年です。U〜m、今度帰ったら、ゼッタイに のぞいてきたい場所だ。