金沢城「河北門」復元工事を前に貴重な資料発見 金沢遠望

2006年09月03日



金沢城「河北門」復元工事を前に貴重な資料発見

金沢城「河北門」について、来年度(2007年度)からその復元工事が始まることになっています。

●河北門は「一ノ門(高麗門 こうらいもん)」(小)と「二ノ門(櫓門 やぐらもん)」(大)の2つの門で構成されており、「二ノ門」は金沢城内の事実上の表玄関として使われていたそうですが、明治14年(1881年)の火災で消失しています。

●この「河北門」の復元工事を前に、このほど相次いで同門に関する貴重な資料が見つかったそうです。

●一つは、明治11年(1878年)の天皇訪問時に撮影された1枚の写真で、明治14年の二ノ丸火災以前の橋爪門や五十間長屋、二ノ丸菱櫓(ひしやぐら)、河北門などが鮮明に写っているもので、先ごろ、学習院大学図書館(東京都)の収蔵資料の中から発見されたもの。裏に「金沢旧城三之丸」と記されているとか。
金沢城の古写真は、金沢市立玉川図書館近世史料館にある11枚が一般に知られていますが、残念ながら撮影時期が不明で映り方も鮮明ではないことから、この写真は復元工事にとって大いに参考になりそうです。
※写真が下記サイトに掲載されています。

明治11年 天皇訪問時に撮影 金沢城の古写真火災前 河北門など鮮明
(中日新聞)
明治十年代の金沢城内を撮影した写真が、学習院大学図書館(東京都)に所蔵されていることが、同大史料館の調査で明らかになった。写真には、一八八一(明治十四)年の二ノ丸火災以前の橋爪門や五十間長屋、二ノ丸菱櫓(ひしやぐら)、河北門などが鮮明に写っている。同史料館によると、七八(同十一)年十月、明治天皇が金沢を訪問された際に撮影された。金沢城の古写真は撮影時期が不明なものが多く、金沢城の研究関係者は「当時の城内の様子を知る上で大変貴重だ」と話す。(中略)金沢城内は、一八七三(同六)年の徴兵令で名古屋鎮台の分営所となり、二年後には二ノ丸に歩兵第七連隊が置かれるなど、明治に入って変遷が激しい。県立歴史博物館の本康宏史学芸専門員(近代史)は、写真に写る歩哨に着目し、「廃藩置県以降、金沢城が軍隊に管理されていく様子が分かる」と話した。


●もう一つは、河北門「二ノ門」の50分の1の立面図で、数日前、真柄建設(金沢市)の創業百周年を記念する社史編纂の資料収集中に役員の自宅から発見され、金沢市玉川図書館近世史料館に持ち込まれたそうです。
こちらは設計図面そのものなので、復元には絶対に必要なものでしょう。この建設会社は昔から宮大工の棟梁の家系だそうですが、収蔵されていた理由はわからないそうです。

金沢城・河北門二ノ門、規模が判明 50分の1縮尺図見つかる
(北國新聞 2006年9月3日)
金沢城河北門を描いた絵図が金沢市内の会社役員宅から見つかり、石川県教委金沢城研究調査室が鑑定した結果、河北門の中心をなす「二ノ門」を五十分の一の縮尺で記録した立面図であることが分かった。これまで確認されている百五十分の一以下の河北門絵図では、石垣の高さや門の幅などは推測の域を出なかったが、この立面図に記載された寸法から正確な規模が特定できることになった。県は来年度から着手する河北門整備に絵図を採用し、より忠実な復元を目指す。(後略)


●復元工事が近づき、関係者による資料収集の努力の結晶ということでしょうか。いずれにしても、復元工事には大いに役立ちそうな重要資料で、工事の準備に一段と力が入りそう。
どんな門ができあがるのでしょうか、楽しみです。


●そういえば、まるでKENさんの集古館から発見されたような資料です。
 KENさんのサイト&ブログ
  ○KENさんの集古館
  ○石川県・金沢の幕末明治の出来事


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