初夏の兼六園(1) 霞ヶ池のほとりにある徽軫灯篭 金沢遠望

2005年05月07日



初夏の兼六園(1) 霞ヶ池のほとりにある徽軫灯篭

040430ことじ灯篭
撮影2003.4.30

●必ずといっていほど観光ガイド本に紹介される名所、徽軫灯篭(ことじとうろう)。だれもがそうするように、私も手前の虹橋から撮影しました。

●江戸時代、この灯篭の2本の足は同じ長さでしたが、明治時代になって折れてしまったのだそうです(折れた破片は兼六園の管理事務所で保管されているとか)。でも、この姿のほうが、なんとなく風情があるように感じます。

●「ことじ」とは、2本足の外観がお琴の弦を支える箏柱(ことじ)に似ているから名づけられたと、観光ガイドなどに書いてあります。私も小学校時代からそう教わってきました。

●だから「徽軫」という文字も「箏柱」の意味だと思ってきました。でも、なんでこんな難しい文字なのだろう、そもそもこの2つの漢字にはどんな意味があるのだろうと、本日、ふと疑問がわきました。

●さっそく、手元の日本語大辞典(講談社)を調べてみました。そこには、「徽」は「キ・ケ・しるし」と読み「美しい・良い」という意味、「軫」は「シン・よこぎ」と読み「車の後部についている横木のこと」とありました。横木ってどこのこと? ということで、今度はネットで調べてみました。

●「車」「横木」でGoogleしたところ、「人力車」と「横木」が並んで使われているのを見つけ、なるほど、人力車のパーツか、と半ば納得しかけたのですが、そこにはそれだけしか書かれてなく、ずばりの説明ではありませんでした。人力車の構造図でもあれば簡単にわかるのですが、それも見つかりませんでした。

●金沢市のサイトにも載っていませんでした。金沢の図書館にある古い文献あたりには載っていると思うのですが、これを調べるためだけに金沢へ行くわけにもいきません。そこで必死にネットで調べ続けました。

●その結果、今度は馬場孤蝶著「明治の東京」(中央公論社版)という本の原文らしきものが見つかり、
http://www.j-texts.com/showa/mtokyor.html
そこに「人力車の梶棒の横木」という表現があるのを発見しました。

●梶棒というのは、人力車の前部の両サイドにある縦の棒です。人力車の運転手(車夫)が左右に曲がるときの方向舵(ハンドル)の役目をするので舵棒(かじぼう)=梶棒=と呼ばれていたのでしょう。

●ということは、横木は、その2本の梶棒を支えるために、そのあいだに横に渡された木のことで、運転手(車夫)が人力車を押す(前に引っ張る)ためのもの、ということになります。

●先の講談社の辞典では「車の後部についている」とありましたが、「人力車」の場合は「前部についている」ので、これでは正反対です。

●しかし、私は「前部の横の木」だと思いました。というのも、本来、方向舵は船の舵のことで、船の後部(船尾)に取り付けられているものですよね。だから、役割的に考えれば横木は舵と同じですから、横木(前)=舵(後ろ)ということもいえるはず。と強引に決めましたが、間違っていたらごめんなさい。
※ひょっとして、「人力車」の前身である「大八車」は、後ろから押す人が後部にあった舵=横木=で方向を変えていたのかもしれませんね。だから「横木は後部にある」という表現になっているとか。これも推測ですが。

●とにかくこれで、「徽軫(ことじ)」は「美しい横木」という意味であるらしいことがわかりました。

ん? 美しい横木?

●またまた意味不明であることに気づき、考え込みました。が、しばらく徽軫灯篭の写真を見つめているうちに、ひらめいたのです。

●よく見ると、灯篭の2本の足の部分が人力車の2本の梶棒で、それを真ん中で車夫が抱えこんでいるように見えてきます。あるいは、蓑笠をかぶった車夫そのものにも見えてきます。

●そうなんだ、そういうことだったんだ。きっと明治時代の粋な人が名づけたのだ。「ことじ」は「箏柱(琴柱)」と「徽軫(人力車の美しい横木、または車夫)」のダブル〜トリプルミーニング(2〜3つの意味)なのだ!

●これは私の勝手な推測および新発見ならびに大コジツケですが、何となく正解のような気がしてきました。間違っていたら、本当にごめんなさい、半分は冗談ですから。本日は、これを結論とさせていただきます。

この記事へのコメント
いつもながら、金沢の知識について感心させられます。
徽軫灯篭が明治まで二本同じ長さだったというのは、またまた勉強になりました。
前にも言ったかもしれませんが、兼六園から徒歩3分ほどの所でそだったので、僕にとって兼六園は蝉取り場であったり・・・鬼ごっこ(夏の無料開放時)をする場所だったので、今こうやって見てみるとへんな気分ですが、いいもんですね・・・
Posted by 哲丸 at 2005年05月10日 22:11
●こんばんは、いつもコメントありがとうございます。

●兼六園から歩いて3分というと、本多町か小将町、石引町(いまは飛梅町というらしいですね)あたりでしょうか。私は中学校時代、広坂通りから兼六園を通り抜けて紫錦台中学校へ通っていました。

●当時は(受験勉強以外では)歴史とか文化とかほとんど何も気にせず、兼六園は兼六園でしかありませんでした。あまりに身近だったせいでしょうか。金沢を出てからですね、その素晴らしさを実感したのは…

●子ども時代であったとはいえ、ふるさとのことをあまりにも知らなさすぎた(知ろうとしなかった)ことを大反省中です。
Posted by kenbo at 2005年05月11日 00:05
私は味噌蔵小学校で兼六中学ですよ!
ちなみに私の父は昭和10年生まれですが、紫錦台中学校の教師をやっていた時期もありました
おそらく昭和35〜40年頃だと思います
Posted by 哲丸 at 2005年05月11日 10:26
金沢に住みながら、兼六園へ行った記憶がない
僕です。 近すぎるゆえに行かないんでしょうかね〜?
Posted by 彰きち at 2005年05月11日 13:28
●そうですか、哲丸さんは兼六中学ですか。あいにくと知り合いはそちら方面にはいないのですが。味噌蔵小学校だったら小将町中学のほうが近いですけどね。もっとも、私も高岡町中学のすぐ隣りに住んでたのに紫錦台でしたけど。

> ちなみに私の父は昭和10年生まれですが、紫錦台中学校の教師をやっていた時期もありました
おそらく昭和35〜40年頃だと思います

●ええっ!そうなんですか、それはどうも。ひょっとしてお目にかかっているかも知れませんね。金沢はほんとに狭いですね。以後、気をつけます!
Posted by kenbo at 2005年05月12日 03:37
●彰きちさん、そうですよ。よほどの趣味人でない限り、兼六園にわざわざ出かけることはないですね(歳をとったら変わるかもしれませんが)。私も金沢にいた頃はそうでした。だから、いまだに行ったことのない場所はいっぱいあります。兼六園はたまたま通学路だっただけですから。

●ふるさとは遠くにありて〜は室生犀星の有名な詩ですが、遠くに離れて住んでいるからこそ、いろんなことに気づくことが多いような気がします。うまくいえませんが、これは独特の感情ですね。

●ただ、これからは大反省にもとづいて、帰省の機会にはあちらこちら見学に?行こうと思っていますが(笑)
Posted by kenbo at 2005年05月12日 03:51
通学路だったんですか?
いい感じですね!

僕の通学路は周りが田んぼだらけだった…(;_;)
Posted by 彰きち at 2005年05月13日 20:07
●時々「田舎はどちら?」とたずねられることがありますが、金沢市内の真ん中で生まれ育っているので田舎という感じがしません。緑や田畑にかこまれた、本物の?田舎のある人がうらやましいですね。
Posted by kenbo at 2005年05月13日 21:50
はじめまして〜♪
五木寛之さんを検索していて
ここへ辿り着きました。。

子供の頃は兼六園へよく写生や遊びに出かけましたが
大人になってから…
特に、有料になってからは親しみが薄れ
県外からのお客さんの案内以外は
ほとんど訪れることがありませんでした…

ところがHPを持ってからは
四季折々デジカメ散歩を楽しんでいます(^.^)

ところで、この素晴らしいページをリンクさせていただけたら嬉しいのですが…
Posted by 秋桜 at 2005年05月21日 16:27
●はじめまして、秋桜さん、コメントありがとうございます。

●五木寛之ファンでいらっしゃいますか? 私もむかし、よく読みました。氏の(若いときの)作品は、人生の冒険物語が多いですよね。今後、未完の大作「青春の門」はどうなるのでしょうか。すこし気になります。

●ホームページ拝見いたしました。旅と風景の美しい写真が多く、俳句ともども、秋桜さんのお人柄がしのばれるサイトですね。

●リンクはもちろん、よろこんで。こちらからもリンクさせてくださいね。タイトルバナーが必要ならおっしゃってください。用意させていただきます。
Posted by kenbo at 2005年05月21日 20:37
kenboさん
早速に ご了解いただきありがとうございます♪

私は、産まれも育ちも嫁ぎ先も金沢なので
望郷の感情はないのですが…

こんなに金沢を愛されて
金沢を紹介していただいて…感激しましたので
「金沢望郷」とバナーを作って
目次におきたいと思ったのです♪

ところで、↑を読みましたら
高岡町中学の近くにお住まいだったそうですね〜
私は高中卒業生なんですよ〜

最も、年代はずい分違いますが・・・(*^_^*)
Posted by 秋桜 at 2005年05月22日 14:41
●秋桜さん、たいへんおほめいただき恐縮です。

●私の生まれ育った場所は高岡町で、何丁目だったかは忘れましたが、昔の香州相互銀行の裏手でした。子どものころ、北國新聞の下水溝にころがっていた亜鉛の活字を拾ってきて、台所のガスで溶かし、型造りをして遊んでいたことを思いだしました。

●こちらからのリンクを貼らせていただきました。まだ先の予定ですが、「金沢人」の中で、秋桜さんのホームページもご紹介させていただこうと思ってますので、そのときはまたよろしくお願いします。
Posted by kenbo at 2005年05月23日 02:16
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