初の「探訪ウオーク」など 金沢園遊会・犀川まつり 23日から25日に金沢市の犀川緑地河川敷で開催される「金沢園遊会2005 第十二回金沢・犀川犀星まつり」(同まつり実行委員会、北國新聞社主催、国土交通省金沢河川国道事務所共催)の実行委員会は31日、同市の北國新聞会館で開かれ、市民参加のおとこ川探訪ウオーク(仮称)など多彩な催しを通じ、川の魅力に触れる場とすることなどを決めた。
初企画のおとこ川探訪ウオークは、室生犀星記念館や雨宝院などを巡り金沢が生んだ文豪犀星の生い立ちや文学を学ぶ。
他に、金箔や和傘、加賀野菜などが並ぶ「犀川和市」、ステージ(犀星の詩の朗読、加賀狂言、加賀万歳、和太鼓)、踊り流し、YOSAKOIソーラン、マーチングバンド、金沢市の各茶屋街の芸妓衆が総出演する「金沢おどり」、老舗料理屋を舞台とする「加賀の宴」、日本三大茶会の一つ「金沢城・兼六園大茶会」など、もりだくさん。
金沢観光を考えている方には、めったにない、いい機会です。
●室生犀星(むろう・さいせい)
○明治22年(1889)〜昭和37年(1962) 72歳没
○本名 照道、別号 魚眠洞
○詩人・小説家、金沢の三文豪のひとり(抒情詩、小説、エッセイなど多彩な分野で活躍)
○作品:詩集「抒情小曲集」、幼年時代、性に目覚める頃、蒼白き巣窟、美しき氷河、青い猿、あにいもうと、杏っ子、評論「わが愛する詩人の伝記」、われはうたえどやぶれかぶれ 他
○詩人としてデビュー、非常に抒情的な詩で注目されました。その後は小説家として、リアルで骨太、現代的な作品で数々の賞に輝いた作家。犀星文学には、故郷の山河に対する思いや、植物や昆虫、魚などの名もなき小さな命あるものへの慈しみの心があふれています。
○室生犀星文学碑(かなざわ百万石ねっと)
○室生犀星記念館
平成14年8月1日 犀星の生誕地跡に開館
金沢市千日町3-22 北陸鉄道バス「片町」下車、徒歩6分
●当サイトの説明文にかいてある「ふるさとは遠きにありて〜」は、もちろん、室生犀星の有名な詩から拝借しているもです。初期の詩集をまとめた『抒情小曲集』の中にあります。
♪うらぶれて 異土の乞食となるとても
♪帰るところにあるまじや
本音に対する意地・強がりが涙がでるほど切ない〜 これが犀星の美学!
●なぜか、このフレーズは、進学で金沢を離れることになってから今日まで、私の心の中でずっと響き続けています。この詩の通りに生きようと思ったわけではなく、私の場合は“帰りたくても諸般の事情で帰れない”という、まことに情けない事情でありますが。
●犀星の作品は若い頃に数篇読んだだけの体験しかないのですが、その世界はちょっと湿っぽくて裏悲しく、いかにも金沢らしい哀愁感が漂っていました。
●残念ながら文学青年でなかった私の犀星体験はこれだけなんですが、私の犀星との係わりは、じつは少し別のところにありました。
●室生犀星の石碑は、犀川の右岸を、桜橋から犀川大橋方面に向かって2、3分ほど歩いた左手に、ひそりとたたずんでいます。「あんずよ花着け 地ぞ早やに輝け あんずよ花着け あんずよ燃えよ」の詩が刻まれていますね。
●もう随分前に亡くなった祖母が住んでいた家が、じつはこの石碑のすぐ近くの桜橋の畔にあったのです。そこは中学の頃まで何度も遊びに行った家でした。夏に遊びに行った時の、井戸水の冷たくておいしかったこと、蚊帳を張って寝たこと、(犀川の堤防沿いにあった家なので)川の音がうるさくてなかなか寝つけなかったこと、祖母が内職で鮎釣り用の毛鉤を器用な手つきで作っていたこと、毛鉤を作るときのニカワに匂いがきつかったことなど、今でも「犀川」「桜橋」の名前を聞くたびに、瞬時に思い出されます。
●その家のすぐ近くに、犀星の碑ができていることに気づいたのは、就職して何年後かに帰省した時でした。すでに祖母は亡くなっていたので、その辺りに行くことはめったになかったのですが、偶然、懐かしさを求めて訪れた時に見つけたんです。例えはうまくありませんが、私は、祖母が生まれ変わって犀星になったような感動を覚えました。
●それと、もう一つ。犀星の生家(現在の室生犀星記念館の場所)の町名は「裏千日町(当時)」(現在は「裏」がとれて「千日町」)で、犀川大橋の南西角から歩いて2、3分のところです。そこは祖母の家から歩いて20〜30分はかかる、犀川の対岸にある町です。
●じつはこの町は、私の中学校のころまで、祖母の親戚の墓所(お寺)があったところなんです。お寺には、祖母のお伴で時々訪れたことがありましたが、この原稿を書くに当たってインターネットで調べた結果、お寺のすぐ近くに室生犀星記念館があることを知りました。なんだか、ますます祖母と犀星の縁を感じてしまいました。そういえば、祖母も、その一生のほとんどを犀川畔ですごした人でした。
●犀川にまつわる思い出話はまだありますが、またの機会に。
●ちょっと脱線ですが。当時は「千日町」のお寺の近くに「白菊町」という名前の北陸鉄道・石川線の駅があり、野々市・鶴来方面への電車が通っていました(現在は「野町駅」が起点になっています)。市電ではなく、数輌編成の郊外電車が民家の軒先をかすめるように通っている場所は金沢では他になく、子どもとしては、墓参りよりもそちらのほうに気をとられていました。
●今年はお盆に帰れませんでしたが、今日は祖母の思い出にひたることができました。このような機会をつくってくれたブログに、感謝。
犀川まつり ‥こんなのあるんだね!
金沢に住んでるのにわからない(;_;
ダメな金沢人です…
またくるね〜。。
●最近時々、新聞社のサイトを見るようになって、それで見つけたニュースです。12年前からあるらしいですね、私も知りませんでした。
●犀川周辺は、私の親〜祖父母の生活圏でした。(浅野川の女川に対して)男川というそうですが、それほど激しい川ではないですよね。
●犀川では、小学校時代に鮎釣り(の真似事)をしたことがあります。犀川大橋の下あたりに貸しボートがありましたね。