●朝日新聞テレビ番組覧より
「日中戦争」兵士達は中国大陸で地獄を見た▽南京陥落その時何が▽ヒトラーの武器輸出▽蒋介石の日記が物語る対日戦略
●見ようと思って見たわけでなく、いつも見ている大河ドラム「功名が辻」とその後のニュースを見ていたら始まった番組でしたが、ついつい最後まで見てしまいました。
●第二次世界大戦(太平洋戦争)のきっかけとなったシナ事変が日中戦争となり、さらに世界大戦へと拡大していった状況が、最近公開された中国側や欧米の資料に基づいて検証・紹介された番組でした。
●満州国に駐留していた陸軍の暴走、短期決戦・終結を計画していた内閣や大本営、上海上陸〜南京陥落までの経緯、中国・蒋介石総督の戦略、ドイツ・ソ連・アメリカの動きなど、これまで知られていなかった、あるいはあまり語られることのなかった事実が、かなり詳細に紹介されていたと思います。運良く戦地から帰ることができた元兵士や現地で大変な目に遭った生存者などの生々しい体験談もありました。
●そういえば、「南京虐殺があった、なかった」という議論が数年前に白熱していた時期がありました。昨夜の番組では、やはり「あった」という証拠が明示されていたと思います。戦場に駆り立てられた兵士たちは、いわば狂気の中に投げ込まれた人たちですから、どんなことが起きても不思議はなかったと思います。みんな弱い人間どうしなんですから。
●じつは、一番ショックだったのは、シナ事変を推進した中心的な部隊が「第9師団・歩兵第7連隊」だったことを、知ったことです。
●「しちれんたい」という言葉は、私の子ども時代にもよく使っていた言葉でした。当時は「日本軍の部隊の一つで、第二次大戦時には金沢城内にその本部があった」という程度しか知らず、というか、私の頭の中では今日までそれだけの知識しかありませんでした。
●しかし、昨夜の番組で、金沢から出兵していった「7連隊」がシナ事変をおこし、南京を攻め落とした精鋭部隊だったことを、初めて知ったのです。番組の中では、帰還兵の方が、現地の模様を淡々と語られていました。
●「しちれんたい」は、戦後生まれの金沢の子どもにとっても、日本の勇敢な兵隊さんの代名詞でした。まさか第二次大戦の引き金になったような行動部隊だったとは。父母や祖父母たちからは、そこまでの話は聞かされてなかったよう思います。私自身もそれ以上考えが及ばず、さほど興味ももたないまま今日まできました。
●そうだったのか。というのが、私の感想でした。金沢は日本陸軍の重要な基地の一つだったんですね。「長崎の次に原爆が落とされる予定地は金沢だった」と昔、だれかから聞かされた覚えがありますが、そういうことだったんですね。
●帰還兵の方たち(80〜90代)は、「黙って死んでいくわけにはいかない、戦死した仲間たちのためにも、これからの世界平和のためにも事実を明らかにしなければならない」と異口同音に話していました。
●最近、中東や北朝鮮、首相の靖国神社参拝問題などと絡んで、“戦争”の話題が増えてきました。いつの間にか自衛隊が実質的な軍隊として公認され(?)、イラクに派遣されてしまいました。憲法9条も、どうなるかわからないみたいな話も出てきています。これはどういうことなんでしょう。
●いざ戦争になると、実際に戦場にやらされたり爆撃の被害にあうのは、戦争なんて一切望んでいない一般市民が、ほとんどじゃないですか。これまでの歴史もそうですし、現在の中東でもそうです。「国のため、民族のため、宗教のため」が合言葉に使われ、だれもが反対しにくい風潮が形成されて戦場に追いやられていく。そしてその結果は…。同じことの繰り返し…
●政治家のみなさんには、戦争の方法論ではなく、戦争を起こさない方法論をこそ、熱っぽく語っていただきたいと思います。それには、「自分だけが正しいという思い上がりと差別意識を排し、コミュニケーションを密にする」しかないのではないでしょうか。すべての戦争を拒否することこそが、真の靖国精神だと思うのですが…