あのとき、近江町市場が「死の灰」に汚染されていたら… 金沢遠望

2009年03月01日



あのとき、近江町市場が「死の灰」に汚染されていたら…

近江町襲った「死の灰」恐怖 第五福竜丸事件から55年 被ばくマグロ、流通寸前
(北國新聞 2009年3月1日)
太平洋ビキニ環礁で一九五四(昭和二十九)年、マグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験で被ばくしてから一日で五十五年。戦後史の一つとして授業で習ったが、実は金沢にもパニック寸前の騒動をもたらしていたことを知った。第五福竜丸が運んできた「被ばくマグロ」が近江町市場にも入荷していたのだ。「事件を忘れてはいかん」。近江町市場の古参が当時を生々しく振り返った。(後略)

●ものすごいタイトルで驚きました?  これは55年前の、第五福竜丸の死の灰事件の話。当時、第五福竜丸から陸揚げされた被ばくマグロが静岡から全国の市場に配送され、もう少しのところで一般客に販売されるところだったんですね。

●私は小学校だったか中学校だったか、映画鑑賞会で、宇野重吉さん主演の「第五福竜丸」を見て、非常に大きなショックを覚えました。

●原爆や水爆という言葉は知っていても「死の灰」は知らなかった漁師さんたち…。映画の中で、雪のように降ってきた灰を漁船員たちが不審な顔で舐める場面がありましたが、その後の闘病シーンも含め、たいへん怖い映画でした。

●映画は事件の何年か後のことでしたが、昭和29年3月に放射能の危険性が金沢市民の食卓に迫っていたという現実…

●私たちは小学校時代から、戦争放棄を宣言した日本国憲法のすばらしさとともに、原爆の怖さを教えられてきました。あの映画も、そんな主旨のもとに作られたのだと思います。

●戦後64年たった今、複雑で滑稽な世界情勢やおふざけテレビ番組によって正常な人間感覚がマヒしてしまい、原爆・核の怖さや戦争の残酷な実態をすっかり忘れてしまった人間が増えているように思えてなりません。

●この新聞記事からは原爆実験や被ばくの怖さを感じるだけでなく、戦争はどんなことがあっても反対すべきものという思いを、改めて強くもたされました。

●どんな状況になっても、戦争には理論も理由づけも不要です。だって、結局は、そこには死しかないのですから。  相手が死ぬか自分が死ぬか、兵士が死ぬか市民が死ぬか政治家&官僚が死ぬか(何で政治家&官僚が最後にくるのだ、いまいましい!)、いずれにしても、今はどちらも“瞬時”の時代です。ばかげてます。

●それでも争いが好きな人・戦争をしたい人は、地球に迷惑をかけないよう、その人たちだけでどこか宇宙のかなたへ出て行って好きにやってください。
それだったら、近江町市場に原爆マグロが並ぶ危険性はないので。

posted by kenbo | 石川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | TOPICS | 金沢遠望 TOPへ
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