●氷室とは、言葉通り「氷の部屋」。小学校の低学年だったと思いますが、初めてその話を聞いたときは夏の暑い盛りだったので、たいへん涼しく、いい気分になったことを思い出しました。(冷房なんて優れものはなかった時代です)
●その頃、私は近所の遊び仲間とともに、金沢城の裏手にある尾崎神社の敷地内の藪の中に秘密の基地(古い防空壕の跡)をもっていて、月に数回、そこへ遠征に行き、そのほこらで休憩をとったりしていました。
●内部は薄汚れていて、いつも何かを燃やしたあとのような、すえた臭いがしていて不気味な感じもありましたが、とにかく中は涼しかったのです。氷室の話を聞きながら、その秘密基地のことを思い出したので、いい気分になれたのかも知れません。
●私の氷室のイメージはその防空壕なのですが、実際の氷室は、金沢の南の奥座敷といわれている湯湧温泉の、たぶん山の中にあったんでしょうね。
※湯湧温泉は以前、当ブログでもちらりとご紹介しましたが、詳しくは改めて別の機会に。湯湧温泉と竹下夢二館
●加賀藩は氷室でつくった氷を、毎年、旧暦の6月1日から4日間かけて江戸へ運んで将軍に献上していたという、いかにも金沢らしい話ですが、たぶん当時としては一大行事で、市民総出でお祝いをしたのではないかと思われます。氷室饅頭は、そのお祝いのゆかりの品だったのではないでしょうか。
●氷室については、ワンダフル金沢さんのホームページにわかりやすい説明が載っています。
氷室開き
藩政時代加賀藩では、冬の間に氷室に雪を貯蔵しておき、旧暦の6月1日に氷室を開き、その雪を4日かけて江戸へで運び、将軍に献上していました。金沢の奥座敷湯涌温泉では、1987年からこの氷室の行事をを復活させました。金沢市の補助を得て氷室小屋を建設し、毎年1月の最終日曜日に氷室に雪を詰め、6月30日にこの氷室から雪を取り出す氷室開きが行われてきました。昨年まで湯涌温泉の一番奥にある玉泉湖畔にある氷室小屋で氷室開きが行われてきましたが、2002年の今年は玉泉湖を管理する会社の許可が得られず、旅館の冷蔵庫に保管されていた雪を使って氷室開きが行われることになりました。(後略)
●その氷室に雪を入れる儀式が、現在は毎年1月の最終日曜日に、湯湧で行われているそうです。今では観光客もちらほらみえるみたいですね。
金沢・湯涌温泉 夏へ冷たい『贈り物』 冬の風物詩 500人、氷室の仕込み
(中日新聞)
金沢市湯涌温泉の冬の風物詩「氷室の仕込み」が二十九日、同温泉の薬師堂境内にある氷室小屋であった。市内外から集まった約五百人が、除雪器具を使って雪を集め、次々に氷室の中に入って雪を踏み固めた。(後略)
冬の思い出、雪と一緒に詰め込んで 金沢・湯涌 観光客、氷室に仕込み
(北國新聞社)
旅館の宿泊客を対象とした「氷室の仕込み(雪詰め)」の体験会が三十日夜、金沢市湯涌温泉の薬師堂境内で行われた。参加した観光客は、かがり火に照らされた幻想的な雰囲気のなか、氷室小屋に雪を詰め、加賀藩ゆかりの伝統行事に触れた。(後略)
●氷室に雪が詰められるのは、当然、一番雪の多い時期で、厳しい気候のなかでの作業だったはずです。それに、雪を半年間持たせるのはたいへんな技だったのではないでしょうか。そのために命をかけていた人もいたかもしれません。
●それに引き換え、今の私といえば、1年中好きなときに冷蔵庫から氷を出してきて焼酎の水割りを飲んでいるという、将軍様が聞いたら卒倒するような贅沢な暮らし… 大反省。
兼六園の端のほうを歩いていたら氷室跡がありましたが、ひっそりとしておりました。
●そうですか、上記のワンダフル金沢さんが書かれている「2002年の今年は玉泉湖を管理する会社の許可が得られず、旅館の冷蔵庫に保管されていた雪を使って氷室開きが行われることになりました」のときですね。
●それにしても、兼六園の氷室の跡はわかりにくいですよね。小学校のころ、わざわざ見学に出かけたこともありましたが、ほとんど記憶に残ってませんでした。
●湯湧の氷室とどういう関係があったのでしょうか?
まだまだ知らないことが多いです。