ライバルは父 JR脱線事故で両親を亡くした小杉さん
(神戸新聞 2006/03/25)
尼崎JR脱線事故で亡くなったテレビ大阪東京支社代表=当時(57)、川西市=、妻=同(59)=の長男謙太郎さん(22)が二十五日、父の母校でもある早稲田大学の卒業式に臨む。四月からは、マスコミ業界に身を置く。父を「永遠のライバル」と意識する謙太郎さんは「父のように人に愛され、人の中で成長していきたい」と抱負を語る。(後略)
●「万年筆」をGoogle検索していて偶然、見つけた記事です。亡くなられた小杉さんが最期の瞬間まで胸に差していた「万年筆」が、Googleに引っかかってくれたのです。
●そういえば、あれは昨年の4月のことでした。マンションにめり込んだ列車のショッキングなニュース映像が、今でも生々しく記憶に残っています。亡くなった乗客数が100人を超えていたと思います。
JR福知山線脱線事故 - Wikipedia
●その中に、テレビ大阪の東京支社長夫妻がおられました。夫婦そろって亡くなられ一人息子が取り残されたことで涙を誘いましたが、何よりも、(たぶん)マスコミ関係者であったことで、報道されることがもっとも多かった方ではないかと、勝手に想像しています。
●それはともかく、あれからもう一年になるんですね。亡くなられた皆様には、あらためて心よりご冥福をお祈りいたします。
●と、ここまでは過去の話です。今回、私が上述の神戸新聞の記事に目がとまったのは、じつは万年筆のせいだけではありませんでした。
●それは、両親を亡くされた小杉さんが「二月下旬、金沢にある両親の墓に参った。」という一節があったからです。
●さりげなく書かれているので(身近な関係者以外は)気づかれた方は少ないと思います。私も、この記事を見るまでまったく知りませんでした。
●事故当時は、小杉さんの名前はたぶん何度か目や耳にしていたと思うのですが、小杉さんのお墓が金沢だったということを知ったのは、これが初めてでした。小杉さんは金沢出身者だったんですね。私としては、これまで遠くの事故だったのが、急に身近な問題に変わりました。
●あらためて昨年の事故のことを思い起こしました。
●むかし、私も仕事で何度も乗ったことのあるJR福知山線でした。福知山や、その先の豊岡、鳥取、米子へ、何度も行ったことがありました。餘部の鉄橋の事故の記憶もあります。
●当時はそれらのことを思い出し、個人的にもショックが大きかったのですが、今回のこの記事で、亡くなられた方の中に同郷人がいたことで、そのショックがさらに大きくなりました。大勢の被災者でしたから可能性はあったにせよ、具体的な事情を知ったことで、ショックが増幅された感じです。
●こんな記事も見つけました。小杉さんは二水高校の出身だったようです。
「からたち関西」特別版 特別寄稿「サントワマミー」
●あらためてご冥福を祈り、息子さんの将来の幸福をお祈りいたします。
●その一方で、金沢を離れて一生懸命働いている人がたくさんいることを知り、はなはだ不謹慎で、同時に不思議な気分ですが、ひそかに心の片隅で、人生の苦しみを慰められる思いも感じました。(現在に)残されている(生かされている)私も(だからこそ)がんばらなくてはならないという気持ちを、強くさせられました。
●神戸新聞の記事は、今年社会人になられた息子さんに贈るエールのような内容でした。たいへんおこがましいのですが、私も同じようにエールを贈るつもりで、この記事を書かせていただきました。
●小杉謙太郎さんというお名前をしっかりと記憶させていただきました。将来のご活躍を心から祈らせていただきます。がんばれ。
○来月にはこんなテレビドラマもあるようですよ。
悲劇から1年…JR福知山線脱線事故をフジテレビが初ドラマ化
4月21日放送 金曜エンタテイメント特別企画「家族たちの明日 尼崎列車事故から1年」(仮題)
○当時の詳しい状況に関する記事(小杉支店長に関する情報)を発見
JR脱線事故 80人以上の犠牲者 遺体安置所に嗚咽
(スポニチ Sponichi Annex 社会 2005年04月27日)
面影をたどりて ―JR脱線事故 遺族の日々
神戸新聞Web News NEWS&ニュース(2005/06/24)
○個人ブログにも関連記事多し
あっかんべぇ: テレビ大阪取締役が死亡 事故の電車、妻も犠牲
JR福知山線脱線事故