●もちろん、当時も古い町並みが残っており、というか、別の意味でほとんどが古い町並みでしたが、あの頃は今日ほど観光・集客の意識が、金沢市にも市民にもありませんでした。その後、昭和60年代にかけて、歴史や伝統を重んじる土地柄ではありましたが、(全国的な)都市化の波に洗われ、古い町並みはどんどん失われてきました。
●しかし、ある時期から、“観光都市”という生きる道(街おこし)に目覚めた金沢は、観光客向けを強く意識した町並みの保存や商業的な再開発を推進するようになったように思います。たまに帰るたびに、新しい大都市の姿と観光を意識した小ぎれいな街づくりが進んでいくふるさとの変貌ぶりを見て、複雑な思いにかられるときがあります。
●でも、どんなかたちであれ、歴史と伝統のよさが残されていくのはいいことですね。金沢らしい選択で、21世紀の街の生き方としては正解だと思います。
●それはともかく、今では市内に「観光名所」といわれる場所があちらこちらにたくさんできました。
ということで、寺島蔵人邸跡はドウダンツツジが素晴らしい! 今が見頃。
ドウダンツツジ(満天星躑躅)
樹木図鑑:ドウダンツツジ
300年のツツジ見ごろ 金沢・寺島蔵人邸跡庭園
(北國新聞社 2006年4月21日)
金沢市大手町の武家屋敷寺島蔵人邸跡庭園で、樹齢三百年を超えるドウダンツツジが見ごろを迎えた。二十一日は、ツツジの見ごろにあわせ春の特別陳列も始まった。
寺島邸跡庭園のドウダンツツジは、藩政期に四国から運ばれて植え付けられたと伝えられる。高さ約三メートルを超えるドウダンツツジの古木は十数本あり、毎年、四月下旬から五月上旬に花を咲かせる。今年は寒さのため、開花は一週間ほど遅れたというが、かれんな白い花が来館者の目を楽しませた。
寺島邸跡所蔵の書画工芸約百七十点の中から蔵人や蔵人と親交のあった浦上玉堂の書画など三十三点が公開されている。五月七日まで。
武家屋敷 寺島蔵人邸跡ホームページ
寺島蔵人邸跡
寺島蔵人(くらんど)(1777〜1837)は、禄高450石の中級武士として加賀藩に仕え、改作奉行、大坂借財仕法主付など主に農政、財政方面の実務を歴任した人物。
《追加情報》
寺島蔵人邸跡のドウダンツツジのレポート&写真については、こちらのブログが完璧、最高です!
-> 金沢発ときめき浪漫
ドウダンツツジ|武家屋敷|寺島蔵人邸跡
寺島蔵人邸に行って来ましたよ!
ほれぼれするほど立派なドウダンツツジです。
TBさせて頂きました!
●いつも素晴らしい写真に感動しています。素晴らしい!ほんとに素晴らしい!