夏告げる甘い香り 金沢の和菓子店、氷室まんじゅう作り始まる
(北國新聞 2006年6月23日)
七月一日の「氷室の日」を前に、金沢市内の和菓子店で二十二日、伝統の和菓子「氷室まんじゅう」作りが始まった。工場内には、蒸し上がったばかりのまんじゅうの湯気の甘い香りが漂い、夏の到来を告げた。
金沢に甘〜い香り「氷室まんじゅう」
夏の風物詩 北陸発(YOMIURI ONLINE 読売新聞2006年6月25日)
●7月1日は氷室(ひむろ)開き。400年前のこの日(旧暦6月1日)、加賀藩は大寒の日に作り込んでおいた雪氷を氷室から掘り出し、当時の宅急便?(早馬?早篭?)で江戸の将軍に献上したのです。真夏日の1日、毎年、北陸から届く冷たい雪氷のプレゼントは、どんな癒し効果があったのでしょうか。きっと大奥では女官たちがお殿様の前でキャアキャア騒ぎながら雪合戦を… 失礼、はしたない想像でした。
●とにかく、この日、金沢は夏を迎えます。もちろん、実際に梅雨明け宣言が出されるのは毎年7月後半ですが、「氷室の日」がくれば、夏はもう目の前。今でも、金沢ではこの日、「氷室まんじゅう」を食べて健康を祈る風習が続いています。この日、金沢市内の宿に宿泊すると、たぶん、おいしいおまんじゅうがだされますよ。
●「氷室」のある湯涌温泉では6月30日に氷室開きのイベントが行われ、観光客に氷室酒やそうめんなどがふるまわれます。
湯涌温泉 氷室開き(e-まち知ろう石川)
会場:湯涌温泉 薬師寺境内氷室小屋 夢二館前広場
金沢市湯涌町
湯涌温泉観光協会 TEL/FAX 076-235-1040 / 076-235-1233
氷室開き 氷室まんじゅう(ワンダフルかなざわ)
氷室の日|氷室まんじゅう
其の頃、ここら辺の住人は利家より仙役として山仕事を任され、税は免除されてました。
その代わり合戦になると借り出され、陣地構築の役を負ったそうです。
倉谷廃村は私の好きな場所で犀川ダム沿いに
「高三郎岳」に向かって、ダム沿いを2時間ほど歩いた吊橋を渡ったところに在ります。
高三郎の奥に犀川の源流犀滝があります。
金沢の最高峰「奈良岳」はその奥で向こうは河内村と五箇山辺りです。
幕末〜明治の毎年の記録を載せたMyBlogは
http://blog.goo.ne.jp/kaga-kanazawa/
●金沢にいたのは高校までで、その後は年に1、2回、帰るかどうかの親不孝を続けており、たまに帰省しても墓参や親戚周りであっという間に愛知県に戻ってしまいます。そんな生活をン十年続けており、犀川の源流には未だに行ったこともありません。お恥ずかしい限り。
●氷室の氷は犀川の奥の山村から運ばれていたとは知りませんでした。これまでは、湯湧の山間部だとばかり思ってました。高三郎岳、奈良岳なんて名前を聞くと、まさにマタギの世界。藩政時代は辺ぴな地域にも、密かな命を受けてその土地を守り続けている人たちがいたそうですね。
●感心させられる話ばかりです。ありがとうございました。当ブログはいつも浮わついた記事ばかりですので、時々喝を入れにきてください。よろしくお願いいたします。
金沢人でも金沢市の最高峰は「奈良岳」と云う事を知らないし、それが何処にあるかを知ってる人は余り居ません。春先に犀川ダムから望む雪を被った奈良岳の勇姿は見事ですよ。
此処等辺はマタギの世界そのもので、雪解け時に此処へ行くと獰猛な猟犬を従えた「熊撃ち」に出会います。私もニ三年に一度は熊と出会いますよ。
此処の犀川上流は加賀藩の隠し金山があり、その掘削人を町に出さないように隠れ遊郭まで在ったそうです。
又、山を越えると火薬の原料である、五箇山の樟脳を掘っており、私の推測ですがその運ぶルートも此処を通ったのでは?と思われます。
と、云いますのは此処へ行く入り口の辺鄙な(今は辺鄙じゃない!)「駒帰町」(馬も引き返す険しい道の意らしい。その川向こうは熊が走り回る「熊走町」)に藩の役職者が住んでいたからです。多分、秘密を守る役割でしょうね。
その加賀藩秘密の金や樟脳を掘った人々の末路はどうなったんでしょうね?口封じ!?
湯湧の氷室は町興しで20年位前に始めたもので、江戸時代は遠くから運ばなくとも金沢城内に氷室を作り、其処の氷を将軍へ献上してました。
●やはり奈良岳周辺はそういった地区だったんですか。マタギというのか忍者というのか隠密というのか、私にとっては昔見たチャンバラ映画でしか知らない世界ですが、中世の武家社会の暗部ですね。
●金沢の中心街から遠く離れたのどかな山村でも、すごく重い歴史を背負っているということを知り、何故か感動しました。勉強になりました。ありがとうございました。