中西悟堂の遺品8,000点が金沢ふるさと偉人館へ 金沢遠望

2007年07月26日



中西悟堂の遺品8,000点が金沢ふるさと偉人館へ

中西悟堂の遺品8千点 金沢ふるさと偉人館に遺族が寄贈
(北國新聞 2007年7月7日)
日本野鳥の会を創設し、詩人でもあった金沢市出身の中西悟堂が残した肉筆原稿、知人からの書簡、身の回り品など約八千点が六日までに、遺族から金沢市の金沢ふるさと偉人館に寄贈された。探鳥会などで使用したオメガ社製の双眼鏡のほか、一九三四(昭和九)年に創刊した雑誌「野鳥」に寄せられた著名人の原稿も。自然に心を寄せた愛鳥家の素顔に迫る貴重な資料で、同館職員が整理と目録の作成を進めている。(後略)
中西悟堂(1895―1984) 金沢市生まれ。歌人としても知られる。1歳の時に父の死去に伴って東京在住のおじの養子となり、寺院での修行生活を経て、1926(大正15)年から野鳥の観察を始めた。34年に日本野鳥の会を創設し野鳥保護などに尽力した。白山の野鳥や能登のトキの調査にも取り組んだ。77年に文化功労者。


金沢ふるさと偉人館は、金沢ゆかりの歴史的・社会的に有名な人たちを紹介している市の施設で、昨年、鈴木大拙展の記事でもご紹介した金沢市営のミュージアムです。

金沢ふるさと偉人館 金沢市下本多町6番丁18-4


そして、この偉人たちのなかに、中西悟堂(なかにし ごどう)という方がいます。私も(いつものように)名前はどこかで聞いたことがあるなという程度の知識しかなかったのですが、なんと、金沢の人(金沢市長町生まれ…私は長町小学校卒デス)で、日本野鳥の会の創始者だったんですね。

中西悟堂

中西悟堂 - Wikipedia
中西 悟堂(なかにし ごどう、明治19年(1895年)11月16日 - 昭和59年(1984年)12月11日)は、野鳥研究家で歌人・詩人。日本における野鳥の研究・保護の礎を築いた日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語。


財団法人 日本野鳥の会 Wild Bird Society of Japan

ちなみに、関東地方では昨年オープンした「館林野鳥の森フラワーガーデン(群馬県館林市)」が人気のようですね。


何年も前、急に野鳥のことを調べたくなって野鳥観察のマネゴトをしていた時期があるのですが、その頃、野鳥の会の会員に入ろうかどうか、ちょっと迷ったことがありました。結局、手続きが面倒になって入らなかったのですが、野鳥の会の存在は今もずっと頭の片隅にあります。

マンションの近くに飛来してくる野鳥は、ドバト、スズメ、ヒヨドリ、カラスなど、何の変哲もない街中に棲む鳥だけですが、たまに郊外へ出るときなどに出会う見知らぬ鳥には、思わず目をやり、デジカメを構えています。

そんなことはどうでもいいのですが、中西悟堂は野鳥研究家であると同時にで歌人・詩人でもあった、たいへんロマンチックな人物だったようです。「野鳥」「探鳥会」といった言葉は、悟堂氏の手になる造語だそうですよ。

悟堂氏が金沢にいた時期は、生まれてから1歳までだった(父親の死去により東京のおじさんの元へ養子に出された)そうですが、50歳を過ぎてから、白山の生息鳥類やトキの調査でひんぱんに石川県にも来られた様子。だから、ふるさと偉人館に入っておられるのですね。


話はちょっと飛びますが、レイチェル・カーソン「沈黙の春」は、今日の環境問題を予見したすごい科学者ですが、「鳥のさえずりが聞こえない春」なんて、想像するだけでも怖い話です。自然を大切にしましょうね。

レイチェル・カーソン

怖そうといえば、まったく余談ですが、悟堂氏の写真の顔はなんとなくえらそうで怖そうに見えるのですが、やはり人は見かけで判断はしてはいけないということも学びました(何が学びだ!)。




posted by kenbo | 石川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 金沢の人 | 金沢遠望 TOPへ
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