歴史の清流 来県者もてなし 辰巳用水の水 金沢駅へ
(中日新聞 2007年8月17日)
来年3月完成予定 3キロ“リレー”滝、噴水に
藩政時代から残る金沢市の辰巳用水の水をJR金沢駅前へ通すための最終的な工事が今月下旬から始まる。二〇〇八年三月に完成予定で、用水の水は駅のもてなしドーム内の時刻を伝える噴水やせせらぎ、滝などに使われる。かつて金沢城に引かれた歴史ある辰巳用水の水で、金沢を訪れる人たちを出迎える。(後略)
●金沢には藩政時代より55本の用水があり、水車を回したり、材木を運んだり、野菜を洗ったりと、武士や町民の暮らしにとって欠かせない重要な存在でした。ほとんどは幅が数10センチからせいぜい1メーター程度の狭い川でしたが、中でも辰巳用水は、昔も今も兼六園に水を供給する水源として、金沢の歴史と文化を象徴する存在になっています。
●私は中学校時代、金沢大学理学部(現・中央公園)横の広坂通りを流れる辰巳用水を足元に見ながら通学していました。用水の壁側(理学部側)は背の低い植栽(たぶんツツジ)が植えられた堤防のような塀になっていましたが、植栽には所々破れ目があり、1メールほどの幅の用水を飛び越えて向こう側の堤に移り、穴を通って理学部の敷地に出入りできました。
●さすがに中学生になってから理学部の敷地に出入りすることはなくなりましたが、小学校時代はいい遊び場でした。しかし、今だったら不法侵入罪ですね(昔も…)。
●理学部の玄関前など、用水路の数ヵ所には小さな石橋が架かっていましたが、広坂通りを流れる部分のほとんどは流れがむき出しの状態で、けっこうきれいな水がながれていたと思います。大きな錦鯉を見た記憶もあります(たぶん、雨後の増水で兼六園から流されてきたのでしょう)。
●唐突ですが、かなり幼い頃、白馬に乗った警官が広坂通りをパトロールしていた姿を思い出しました。その馬が私の目の前で突然いなないて立ち上がったので、驚いてよろけたはずみに、もうちょっとで用水にはまるところでしたよ。
●そんな用水が、金沢市内に55本も流れているんです。
ということで、金沢は用水の街としても知られています。金沢駅前のオブジェに辰巳用水の水が使われると、辰巳用水は名実ともに金沢のシンボルになりますね。
●いつの日か、市内の用水路探検をしてみたくなりました。
辰巳用水|兼六園|広坂通り