旧町名復活の第8番目、「袋町」が来年春に再登場! - 金沢遠望
●この記事にある、主計町(かずえまち)、下石引町(しもいしびきまち)、飛梅町(とびうめちょう)、木倉町(きぐらまち)、柿木畠(かきのきばたけ)、六枚町(ろくまいまち)、並木町(なみきまち)、袋町(ふくろまち)の中で、ようやく8番目の袋町が今年3月1日に復活しています。
金沢で8例目 37年ぶり「袋町」復活
(北国新聞 3月1日)
金沢市の旧町名「袋町」が一日、三十七年ぶりに尾張町二丁目と安江町の一角で復活した。二〇〇五(平成十七)年十月の「並木町」に続いて市内八例目となった。電柱の表示が変わり、商店には早速、袋町の文字や由来が書かれた「日よけのれん」が掲げられた。袋町の中央部に、「旧北国街道」の標柱も立てられた。(後略)
●その後、復活した旧町名の町では住民の意識が高まり、町全体として活性化したという記事を見つけました。
金沢復古 旧町名に変更 にぎわい創出
(中日新聞 2007年8月15日)
市支援 観光や町会が活性化
藩政期などに由来する旧町名が復活した金沢市の八つの地域で、住民同士のつながりが強まり、観光客、来店客も増えるなど地域が活性化していることが市などの調べで分かった。“昔”の町名に変更したのは、いずれも一九九九年から今年にかけて。旧町名の復活は全国的にも珍しいが市は、まちづくりやコミュニティーのよりどころとして引き続き支援を行う。(後略)
●そして、次はいよいよ大本命?ともいえる「南町」の復活に向けた動きが始まりました。
金沢に「南町」復活を ≡地元の代表が市長に申出書≡
(asahi.com 2007年08月24日)
金沢市高岡町や香林坊などの一部に戦国末期ゆかりの町名「南町」を復活させたいと、地元町会代表者らが23日、市役所を訪れ、山出保市長に申出書を提出した。実現すれば、3月1日の袋町に続く市内9番目の旧町名復活となる。地元では、市議会の議決や周知期間を経て、来秋の復活を目指している。(後略)
●南町は、南町交差点から香林坊2丁目交差点までの間の大通りを挟んだ両側一帯で、尾山神社がその真ん中あたりに位置し、現在は尾山町と高岡町に分かれています。
●南町の町名は1966年頃になくなったそうです。私は子ども時代、香林坊(正確には高岡町でしたが)の住人でしたから、隣町の南町という名前はしょっちゅう耳や口にしてました。
●このあたりは金沢市内でもっとも古くから栄えていた地区だそうです。往時は、書物商、小間物商、塗師(ぬし)・筆師などの職人などの商店や上方の商人宿などがあり、交易や交流の中核として活気に満ちていたとか。
●現在は香林坊の一部のようなイメージになっていますが、もともと南町のほうが金沢の中心だったんですね。やはり尾山神社のおかげなのでしょう。
●国・県・市と、最近いろんなところで頭の硬いお役所仕事が批判されていますが、お役所も反省することがあることに、すこし驚きました。間違ったと思ったら素直に誤って訂正するのは、一般社会では当たり前のことですけどね。
●理由はともかく、1950〜60年代に消えてしまった歴史ある旧町名が次々に復活してくるのは、非常に嬉しいことです。
●私の小学校はドーナツ化現象(これも死語です)のためなくなってしまいましたが、やはりいつも寂しい思いがしています。
●壊してしまった建物は復活できませんが、町名の復活なら簡単ですよね。そうはいっても国や県や関連部署との調整が必要なので…とおっしゃる人がいると思いますが、調整して実現できることなら調整すればいいだけのことですから。
●それよりも、これからは遺跡だけでなく、町名や建物、古い樹木など、歴史と生活と文化のあるものは安易に取り壊したり変更しないほうがいいですね。
私が今すんでいるところも、今は埋め立てられた川が交差点や公園の名前で残っています。
残念ながら金沢のように町名復活にはならないようですが。
●地名や町名には歴史や生活文化がしみこんでいますから、安易に変えないほうがいいように思いますよね。
とくに自分の生まれ育ったところには何ものにも代えがたい愛着がありありますよ。
●変更するにはその時々の事情があると思いますが、これからは市民全体を巻き込んで、もっと議論をして煮詰めてから実施してほしいです。