●石川県が毎年開催している「いしかわ景観大賞」というのがあるんですね。
いしかわ景観大賞(石川県都市計画課)
●昨年秋に第14回目が募集され、このほど結果が発表されました。
そして、その大賞に、なんと、当サイトの右上に貼ってあるイメージ写真の場所、鞍月用水が選ばれました。
県の『いしかわ景観大賞』 金沢鞍月用水に
(中日新聞 2008年3月15日)
県は十四日、昨秋に募集した「第十四回いしかわ景観大賞」の受賞景観を公表した。大賞は「金沢鞍月用水」(金沢市香林坊ほか)で、景観を創出した企業・団体などの表彰式が十七日に県庁で開かれる。 (後略)
●もちろん、当サイトが選ばれたわけではありませんが、何だか縁を感じて嬉しくなりました。
●金沢は昔から用水の多い街として知られており、いずれ当サイトでもご紹介したいと思っているのですが、なかでも鞍月用水は、私の生まれ育った町「香林坊」を流れている用水で、小学校(長町)の横を流れていた大野庄用水、中学校(紫錦台)の横を流れていた辰巳用水(兼六園に流れ込んでいます)とともに、金沢の代表的な用水の一つです。
●あの頃(高校時代まで)住んでいた家の玄関から西へ歩いて20秒くらいのところに空き地(実際は資材置き場)があり、そこはうちの町内から4、5mほど階段を降りた位置にあり、子どもたちが通称「ガケ」と呼んでいる遊び場でしたが、鞍月用水は、そのガケ下の広場の西側(の2mほど下)を北へ流れている泥川でした。
●最近は環境意識や都市景観意識の向上とともにきれいな川になりましたが、昭和40年代まではかなり汚れたドブ川だったのです。当時、日本中の都市河川は泥川だったかも知れませんが、鞍月用水には片町・香林坊の繁華街や裏通りなどで捨てられた生ゴミが多く、暑い夏場にはいつも汚泥の匂いが漂っていました。
●小学校2、3年生のある日のこと。
ガケ下の広場でいつものように遊んでいたのですが、戦争ごっこをしてて、草陰に身を伏せてススっと忍者のように後ずさりをしたとき、突然体が宙に浮き、その瞬間、あっという間に2mほどの高さから後ろ向きに用水に落下、全身汚水まみれになったことがあります。
●幸運にも川の中の岩で頭を打つこともなく、深さは40〜50センチくらいでしたのでおぼれることもありませんでしたが、立ち上がると、したたか泥水を飲んでいて、一瞬、気分が悪くなりました。足元にはさびた自転車や割れた茶碗の破片、ビニール袋などが泥に埋まっており、ヘドロが足にからみついて、すぐには汚泥から抜け出すことができませんでした。
●必死の思い(形相)で川から這い出ると、一直線に走って家に帰り、母親から洗濯物の洗い場(風呂場がなかったの)で頭から水をかけて洗ってもらいました。
●あのときはすごく恥ずかしかった記憶があります。ドブ川にはまって服を汚してしまったことを恥ずかしく感じたんですね。いつも洗濯したての服を用意してくれていた母への申し訳ない気持ちもあったかも知れません。
●しかし、いま考えてみると、もう一つ大きな理由がありました。
それは、まるで自家の敷地のように遊び慣れた場所で不覚にもミスをしてしまったことに対して、プロとしてのプライドが許せなかったということです。
●なんのプロかって? もちろん、遊びのプロです。
遊びのプロとして、自分の遊びの縄張りのなかでの思いがけない失態、それを母親に知られたことが恥ずかしかったからなんですね…
●景観賞とはまったく関係のない話ですが、私にとって鞍月用水は、犀川よりももっともっと身近な川だったので、ついついいろんなことが思い出されてきました。
●そうそう、ついでに。
資材置き場の「ガケ」(の広場)では、カクレンボや探検ごっこをしたり、木材でクギだらけの隠れ家(危険なログハウス、マネしちゃダメ!)を建てたり、その小屋で捨て犬を飼ったり、川向こうのガキ連と集団で戦争ごっこ(ケンカ!)をしたりしてました。けっこう多忙でしたね。
●冬は冬で、その広場が町内の雪捨て場になっていたので、子どもたちにとってはかっこうのスキー場でもありました。竹スキー、めちゃくちゃ得意でしたよ。昭和30年代の話です。
●「ガケ」というのは、文字通り、石垣のガケで、うちの町内ではそのガケ上の柵の隙間から下の広場(実はどこかの会社の資材置き場)へ雪を捨てる習慣があったので(いまでは到底許されない行為!)、冬場はいつもガケの上から広場の向こう側の鞍月用水に向かって10〜15mくらいのなだらかな雪の斜面ができ、街中で楽しめる竹スキーにもってこいの場所になっていたのです。
●春から秋にかけては、このガケの石垣は絶好のロッククライミング、そしてガケくだり&飛び降り訓練の秘密基地でもありました。親が知るとその場で卒倒するような危険で素敵な冒険地帯でした。