金沢文芸館 夜景
●素晴らしい! いつもながら、tokimekiromanさんのめっちゃくちゃ素晴らしい写真です。実物以上の?美しさ!
●昭和初期の建物ですが、昭和20年代までに建てられた洋館は、実質的には明治時代の建物といってもいいですね。
石川銀行とは
(Wikipedia)
石川銀行はかつて存在した第二地方銀行。2001年暮れに経営破綻した。
2003年3月に日本版ブリッジバンクである日本承継銀行を経由した後に、北陸銀行、富山第一銀行、北國銀行、金沢信用金庫、能登信用金庫(現・のと共栄信用金庫)に分割営業譲渡されている。
[編集]沿革
1943年6月 北陸無尽株式会社として設立。
1951年10月 相互銀行に転換、株式会社加州相互銀行に商号変更。
1989年2月 普通銀行に転換、株式会社石川銀行に商号変更。
2001年12月28日 預金保険法第74条第5項の規定による申出がなされ、経営が破綻。
2003年3月24日 営業譲渡。
●ここは元石川銀行の橋場支店だったのですが、Wikipediaの沿革にあるように、石川銀行というは私の金沢時代、加州相互銀行という名前でした。
●香林坊の真ん中にあったのは本店だったのでしょうか。じつは私が小学校〜中学時代まで住んでいた町は、その加州相互銀行の裏手だったんです。子どもの頃は、日本銀行(こちらは今も昔のままの姿でありますね)と加州相互銀行の前庭(駐車場)が遊び場のひとつでした。
●当時、うちの近所の子どもたちは省略形で「加州」と呼んでいました。「きょうは加州で遊んでた」なんて。前庭には車が駐車してありましたが、当時はまだ数も少なく、子どもが遊べるスペースも十分あったんです。自動車がまだ超高価で珍しい時代でしたから、半分は自動車を間近で見たかったということもありました。(もうとっくに時効ですが、駐車場で遊んでいるうちに車に引っかきキズをつけたことも…)
●私が金沢を出てから何年か後に石川銀行(相互銀行→普通銀行)となり、さらに4年前の平成13年(2001年)に(信じられないことですが、最近はよくある)放漫経営によって破綻・廃業となったようです。先日帰省時に近くを通ったら、アパホテルが建設中でしたね。中心街ですから仕方ありませんが、生まれ育った街がどんどん昔日の面影を失くしていくのは非常に悲しい…
●そんな昭和30-40年代の懐かしい街(町)や人々の暮らしぶりを再現してくれた映画が、いま上映されています。金沢でもやってますよね。
ALWAYS 三丁目の夕日

(※同サイトの許可を得てリンクを貼らせていただきました)
●西岸良平さんのビッグコミック・オリジナルの連載漫画が原作で、舞台は東京ですが、当時の金沢もこんな感じだったように思います。
●私としては涙なくしては見れない感動映画です。バナーをクリックすると流れてくるテーマソングもゆったりとした当時の雰囲気そのもの。しばらくは当サイトのテーマソング?に代えさせていただきたいと、勝手に思っています。
●いまテレビでも時々CMが流れてますね。機会があったらぜひ映画館で見てください。
でも、磯からはかな〜り、かな〜り難しいよ。
てか、釣れない。かからないね!
万一かかっても、取れない(釣り上げることは)できないよ。
弾丸ライナーで走って行かれて、プチっと(糸が)終わりだね^^; 磯からのクロダイ狙いの仕掛け(道具)じゃ。
石川銀行!・・何でそうなったらみんな駆け込んで預金おろしに行くのだろうか?
そんなことしなくても大丈夫ってこと知らないのかな?
イメージだけがそうさせるのかな?
企業(倒産)のイメージってこわいね。。
●寒鰤! 名前を聞いただけでミ鰤ィ(身震い)しそうです。ヨダレが湧きでてきます。やっぱ、私は釣るより食べるほうで。
●磯では難しいですか? でも、難しければ難しいほど、チャレンジしたくなる…と、いいながら毎週出かけられているんですね。その執念が素晴らしい!
●石川銀行の倒産時の様子はまったく知らないのですが、一般市民の気持ちとしては、やはり押しかけるのもやむをえないのかなと思います。しかし、個人的には、押しかけざるをえないくらいお金を預けていらっしゃる方々がうらやましいかぎり。
●でも、こうやってつぶれた銀行が、このような文化的な遺産を後世に残してくれたということに、私たちは感謝しなければなりません。まったく、世の中はままならず、皮肉な巡り合わせばかりです。